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文学・評論

無垢の博物館

オルハン・パムク 宮下遼 訳
早川書房 2010.12.25 初版 (世田谷図書館)

 

無垢の博物館上無垢の博物館下

 

舞台は1970年代のトルコ、イスタンブール。資産家の息子で自身も若くして会社を経営するケマルは、美しく教養があり気立てもよいスィベルとの結婚が決まって、近く婚約式も挙げることになっており、幸福の絶頂にある。そんななか、あるとき高級輸入雑貨店の店員をしていた遠縁の娘フュスンと出会い、ひと目で恋に落ちる。婚約式が迫っているのに、2人はケマルの母の持ち物で今は誰も使っていないアパートの一室で密かに逢瀬を重ねる。フュスンは稀にみる美貌と性的魅力の持ち主だが、噂のような身持ちの悪い女ではなく、ケマルとが始めてだった。
ケマルはスィベルとの結婚をやめる気はなく、しかしフュスンを諦めることもできず、スィベルとの婚約式にフュスンとその両親を招待さえする。だがその日以来フュスンはぱったり密会の場であるアパートに来なくなり、消息を絶つ。ケマルの打撃は想像を絶するものだった。悲しみや苦しみというより、文字通り身体的苦痛が彼を苛んだ。婚約者のスィベルはそんな彼を癒そうと誠心誠意尽くしたが、真実を知るに至り離れてゆく。ケマルの望みはひたすらフュスンと再会することだった。待ちに待ったその機会が訪れる。だがフュスンは… 男女交際や性のモラルに関しては、70年代の日本と似た状況。

果てしなく続く日常生活の素描。細々した日常品や果てはフュスンが吸ったたばこの吸い殻まで集めるなんともやりきれないフェティシズム。 ケマルはフュスンにほんの一筋でも関わりのあるモノたちをひたすら集めまくり、最後にはその膨大なコレクションを展示する私設博物館まで開設してしまう。博物館開設とともに、フュスンとの愛の物語を書くことを、実在の作家オルハン・パムクに依頼するあたりで終わる、凝った構成である。

ケマルとフュスンの愛はもちろん現実世界にはあり得ない類のものだ。フュスンを失い、会うことがかなわないと知ると、何年にもわたって物理的身体的激痛にのたうちまわり、フュスンが他の男のものになった後でも、ただ彼女の傍にいたいというだけで、両親と暮らすフュスン夫妻のもとに8年間も通い続ける。どんなに情熱的な男にも現実には起こり得ない不可能な恋なのである。 おそらく「ありそうな」恋かどうかは問題ではなかった。
この物語には始めから死の匂いが漂っている。バタイユ風に言えば、彼らのエロスの絶頂は一つの死でもあった。だからこそ、ケマルの集めた何ということもない日常の品々は無垢の象徴、聖性の象徴になったのだ。性と生と聖、この三つの側面が、イスタンブールの風景やそこに生きる人々の微に入り細にわたる描写と絡み合って不可思議な世界を創りあげてゆく。 好きな作品かと問われればとても即座には肯定できないが、小説の可能性を大きく広げるタイプの作品であることはたしかだ。プルーストを思わせるという評価が多いようだ。私はプルーストを読んでいないので、何とも言えないが、イメージからするときっとかなりあたっているのだろうと思う。

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