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人文・思想

有限性の後で

――偶然性の必然性についての試論

カンタン・メイヤスー/千葉雅也、大橋完太郎、星野太 訳

人文書院  2016.01.20初版

フッサールの現象学はメイヤスーに言わせれば相関主義に違いないのだろう。でもフッサールは実在を否定しているわけではなく、ただ自然的態度を一時的にエポケーして超越論的主観の場に立つほうが方法論はとして上手くゆくと言っているだけだ。自然的態度に戻れば当たり前に(まあごく限られた科学者の間だけだけれど)、三十五憶年前の地球や宇宙の終わりを論じることができる。「祖先以前性」といった知的アクロバットを演じなくても科学の成果を受け止めることができるのだと思う。、

ヒュームの因果性の問題は、たしかにこれを突き詰めてゆくとすべての事象は偶然であるという結論に至るかもしれない。しかしヒュームはそのように「突き詰めて」答えの出ない問題をいつまでも問い続けること自体を禁じ手にしているのである。これを知的怠慢というのはたやすいかもしれない。しかしカントやヒュームにとって、まさに果てしなく遡行してゆく形而上学的探究をどこかでとどめることが必要だったのであり、それが彼らの近代的知性の誠実だったのである。その形而上学的探究がメイヤスーにおいて別の形で繰り返されているような気がするのは、単に私の読みが浅いからなのだろうか?

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