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人文・思想

ジョージ・オーウェル ―「人間らしさ」への讃歌

川端康雄   岩波新書   2020.07.07

オーウェルの作品はずっと昔に『動物農場』と『1984年』を読んだだけ。それらは(とく『1984年』は)もちろん深い印象を残したが、作家についてはその後それほど関心もなく推移した。しかし今回新聞の書評で本書を知って、まずは、この副題「『人間らしさ』への讃歌」というのに興味を惹かれた。

期待どおり、その生涯は知るに値するものだ。植民地生まれだが、upper middle classの育ち、奨学金に頼ってとはいえ著名なパブリック・スクール、イートン校を卒業。しかし大学には行かず、植民地ビルマの警察官僚として5年間過ごす。その後も中上流階級の暮らしを拒否して、敢えて労働者として極貧生活を体験する。
私は常々不思議に思うのだが、同じく裕福な上流階級の生まれ育ちでありながら、下層の人々の貧困や苦しみが気になる子どもや青少年と、まったく関知しない子どもたちがいるのはどういうことなのだろうか。これはやはり持って生まれた感性と言うしかないのだろうか。少なくともジョージ・オーウェル(本名エリック・ブレア)が前者の若者であったことはたしかだ。

その後義勇軍としてスペイン市民戦争に参戦した事実は有名だが、既にその頃反共分子としてスターリン派に目をつけられていたとは知らなかった。共和派のために戦った彼とその妻が命からがら逃げおおせたのは、ファシストからではなく同志であったはずのコミュニストの一派からだったのである。「全体主義のプロパガンダが、民主主義の国々の進歩的な人びとの考え方をいかにやすやすと支配してしまえるか、それを私は思い知った」(『動物農場』ウクライナ語版への序文)。
それでも彼は単純な反共主義には走らず、あくまでも「人間らしさ」に定位した真っ当な社会主義者として最後まで生き抜いた。

本来思想は人を幸福に、善きものにすることを目指していたはずなのに、色々と「感性」の違う人々の間に広まってゆくうちに何か違うものに変質してしまう。それ自体は仕方のないことなのかもしれない。出来ることは最初の目的からの偏差をできるだけすくなくすることだ。その際必要なのは、ジョージ・オーウェルのように「人間らしさ」への感性を生まれもって備え、厳しい条件のなかで絶えずそれを鍛えてきた人間ではないだろうか。それは、ジョージ・オーウェルほど一貫してできることではなくても、ふつうの我々も意識すればある程度できることかもしれない。

苦しい時代を共にした最愛の妻と結婚後わずか10年で死別するが、意外と立ち直りは早く、その後何人もの女性と付き合い、早すぎる晩年には病のさなかに若い女性と結婚している。案外寂しがり屋で人を恋しがるタイプで、その意味でも「人間らしさ」あふれる人物だったのかもしれない。もっと書きたいものがいくつもあったようで、早逝が惜しまれる。

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