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文学・評論

本心

平野 啓一郎 株式会社コルク

近未来の話。他人の「リアル・アバター」となって様々な依頼仕事をこなす青年、石川朔也は、生れてこの方母ひとり子ひとりの母子家庭でひっそりと暮らしてきたが、その母を最近事故で亡くしてしまう。母の死を受け入れられない朔也は、高いお金を払って母のVF(バーチャル・フィギュア)を製作してもらう。母の過去のすべてのデータを元につくられ、その後、持ち主の接し方次第でさまざまに学習して本物らしくなるというVFである。

生前の母は「自由死」(安楽死の一種)を望んでいたというが、そのことに納得がいかない朔也は、生前の母の交友関係を調べて、母と親しかったという若い女性、三好彩花に出会う。一方、ふとしたことで、まだ19歳ながら天才的なアバターデザイナーで巨額の年収を稼ぎだすイフィーと出会い、三人は親しい友人関係になる。

自由死を望んだ母の本心はどこにあったのか、見ず知らずの他人の精子を得て自分を生んだ母の本心は? 互いに信頼と好意を抱きながら、男女の関係にはならなかった三好の本心は? 

最初はロボットと人間の交流というありふれた設定がこの話の核と思ったが、そうではなかった。母のAVを身近に置いて「会話」を重ねていくうちに、その過程を通じて朔也はむしろ生身の人間と出会わざるを得なくなる。三好やイフィーはもちろんそうだが、その他に、母の自由死を認めて、もし事故がなかったらそれを担当していただろう医師、母と生前深い心の交流があった作家   

結局人は誰も他人の本心など分からない。それがどんなに身近で自分の愛する人間であったとしても。いや自分自身の本心だって実は分からないのだ。問題は本心を知ることではなく、直接にはそれが自分には理解できないとしても、他人の選択を受け入れることだ。そこから開けてくる色々なことがある。

イフィーという人物にはあまりリアリティがないが、IT業界だったらありうる設定なのだろうか。イフィーも含めて、ここで描かれる未来は決してバラ色ではない。経済的格差などいまアクチュアルな問題がむしろ凝縮して現われている。実際、そういう暗い未来が待っているだろうという予測のほうが、残念ながら明るい未来よりはむしろリアリティがある。幸いその未来にはもう私は存在していないだろうけれど。

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