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文学・評論

夜明け前

島崎藤村 青空文庫(底本 岩波文庫 親本 新潮社1936)

ずっと前から読みたいと思っていた本だが、ついに果たせた。大部で時間はかかったが、読んでほんとうによかったと思う。月並みな言い方だが、時代を越えて人の心に届く名著だ。

あらすじなどはWikipediaで掴めるので立ち入らないことにする。江戸時代末期、中山道馬籠宿本陣の当主、青山半蔵は、平田篤胤や本居宣長の思想を深く学び、多大な影響を受けた当時一級の知識人である。本陣の当主としての激務を果たしながらも、彼は新しい時代の到来を期して胸を高鳴らせる。彼が望んだのは国学の祖たちが説いた古代日本の世界観である。それは単なる懐古趣味ではなく、「よりよき社会を求めるためには一切の中世的なものをも否定して、古代日本の民族性に見るような 直さ、健やかさに今一度立ち帰りたい」という願いである。「この世に王と民としかなかったような上つ代に帰って行って、もう一度あの出発点から出直すことによってのみ得らるる」ものがある。古代に帰ることはすなわち 自然に帰ることであり、 自然に帰ることはすなわち新しき古を発見することである。

だが明治の世は彼が望んだような方向には向かわなかった。街道を通る人やモノの流れを見つめながら、彼は絶望にかられる。「あの横浜開港の当時、彼は馬籠本陣の方にいて、幾多の 小判 買いが木曾街道にまで入り込んだことを記憶する。国内に流通する小判、一分 判なぞがどんどん海の外へ流れ出して行き、そのかわりとして輸入せらるるものの多くは悪質な洋銀であった。[…] もしそれと同じようなことが東西文物の上に起こって来て、自分らの持つ古い金貨が流れ出して行き、そのかわりにはいって来る新しい文明
開化が案外な洋銀のようなものであるとしたら・・・」
明治政府の「改革」も彼が望んだようなものではなく、庶民の生活を犠牲にして、西洋に太刀打ちできるよう国を富ませるような方向に向かう。
失意が重なって、彼は次第に精神のバランスを崩していく・・・

夏目漱石より一世代前、ここにも、脈絡のない性急な日本の近代化の犠牲になった知識人がいたということか。時代の変わり目に、誰にとってもほんとうに良い世の中を目指す人間は一定数必ずいるが、彼らの力は弱く果敢なく、別の強大な力に押し流されていく。それでもそういう人間が居たという事実は変わらず私たちの心を打つ。
幕末から明治というと、えてして新選組や坂本龍馬などアクチュアルな政治の場面(しばしば暴力を伴って)で活躍した青年たちを思い浮かべるが、こんな「思想闘争」を闘って敗れた人間もいるのだ。藤村の筆は、文字通り激動の時代の政変や戦争、庶民の暮らしや風習、所作振る舞いの変化、当時の風景や季節の移り変わりを事細かに写しとりながら、その背景に上記のような青山半蔵の運命を見事に浮かび上がらせる。トーマス・マンの『ブッデンブロークの人々』にも匹敵する大河小説。

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