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文学・評論

People of the Book

Geraldine Brooks

Penguin Books    2008

Geraldine BrooksのはMarchを読んでとても面白く、また負の歴史に向かう姿勢がとても良心的な作家だと思ったので、本書が出てすぐ買ったのだが、たまたま目を通さずにそのままになっていた。今回改めて読み始めたら面白くてやめられなくなった。

物語の中心は実在の古文書サラエボ・ハガダー。キリスト教関係では古代から中世にかけて、美しい飾り文字や文様を施した聖書の写本が多く残されているが、偶像崇拝を禁じ図像的なものを排除したユダヤ教では、装飾写本は極めて珍しい。サラエボ・ハガダーはそんな希少な聖典のなかでも現存する最古のもの、しかもボスニア内戦で焦土と化したサラエボの美術館から、イスラム系のキュレーターが命がけで救い出したという数奇な運命をたどった奇書である。ここまでは史実。

これ以下は著者の想像力を駆使したフィクションである。プロットは二つに大きく分かれる。古書の修復を仕事とするオーストラリアの古文書学者ハナ・ヒースと彼女をめぐる人間模様、そしてサラエボ・ハガダーのような曰くつきの文書がどうして製作されるに至ったかという経緯。この二つのストーリーが交互に繰り返される。前者の舞台はもちろん現代、後者は中世から二十世紀に至る歴史ドラマである。やや込み入った筋立てながら、ミステリーの要素もあり、最後まで興味をひきつけられた。
ハガダーの装飾を担ったのはユダヤ人ではなく実はイスラム系で、しかも当時聖典の装飾に関わることを固く禁じられていた女性の手になるものだった、という卓抜な設定。この美しい書物は、何人もの人々の手に渡り、幾度か廃棄や消滅の危機にさらされながら、二十一世紀の今日まで生き延びてきたというのである。

ちなみにPeople of the Bookというのは単に書物の民という意味ではなく、イスラム教の言い方で聖書(キリスト教でいわゆる旧約聖書)を崇敬する「啓典の民」、つまりイスラム教徒とユダヤ教徒の双方を指すらしい。本書はボスニア内戦の悲劇を背景としながら、本来のイスラム教徒(そして恐らくユダヤ教徒も)が持っていたcross-cultural, cross-religious tolerance の理想を秘かに物語の内にしのばせたなかなか奥の深い小説である。

 

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