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人文・思想

定本 丸山眞男回顧談 上・下

松沢弘陽 植手通有[編] 平石直昭

岩波現代文庫  2016年7,8月

年齢的には上限に近いが、一応いわゆる全共闘世代に属する私としては、丸山真男は左翼リベラルと称しながら、大学教授という安全な場所に身を置いて行動しない「進歩的文化人」の代表と見えていた。ろくにその著作を読みもせず、この歳までその思想を知ろうともしないで。

今回友人の勧めで本書を読んでみて驚愕した。まさに巨大な知の集積を身に携え、戦前はもちろん、戦後の混乱期にもこれ以上不可能なほど現実社会の動向にコミットし、身を以って戦後日本の精神世界構築に献身した人なのである。この人がいなかったら、日本の民主主義はもっと底が浅く薄っぺらなものになっていたのではないだろうか。

もちろん、ポピュリズムが幅をきかせ、民主主義という概念自体が疑問に付されている現在、丸山の思想をそのまま現代に当てはめることはできないかもしれない。しかし良識ある思想家や哲学者で、理念としての民主主義を否定する人は、私の知る限り一人もいない(思想的価値論は別としても、民主主義は時間がかかるが、長い目でみれば効率のよいシステムだというのが大勢)。

民主主義はまだ賞味期限は切れていないのであり、その限りで、根底から民主主義の思想を追求した丸山の仕事は今現在大きな意味を持っているのだと思う(これから著作を読もうと思っているので、あまり大きなことは言えないが)。

いくつか印象に残ったエピソード。戦前ではやはり、留置場での「いのちの初夜」体験。それまで自分についてある種の万能観を抱いていたであろう彼が、己の弱さを思い知らされたということはたしかにあっただろうけれど、それだけではない気がする。節を曲げない強さだけが人間にとって大事なことなのか。「ぼくのようなテンダー・マインデッドのものは、科学だけで人間の問題を覆いうるとは思えない」(p.55) これは、後に全共闘への対応に関係してくる重要な視点だろう。

ドストエフスキーの『悪霊』を読んで震撼した、という箇所(p.93) 「ショックを受けて一週間くらい飯も食えないくらい」だったという。この頃から既に、理想理念(イデオロギー)をもつことの恐ろしさを感知していたのだ。例えばの話、連合赤軍事件のようなものを予見していたとも思える、その感受の鋭さには驚く。この時代だったら、官憲の弾圧は別としても、若者にとって社会主義や共産主義の思想を持つことは、思想性はもとより人間としての倫理性の高さを意味していただろうし、戦後の私たちにとってもそうだった。しかし、高い理念を持つことと、人間としてより真っ当に生きることとは、違うことなのだということを、この時彼は既に知ったのだと思う。それが、後年のしっかりした平衡感覚に支えられた思想の営みにつながったのではないだろうか。

三島庶民大学の話。学歴も出自も職業も様々な人々が一日の仕事を終えて、講義を聴きにやってくる。終戦直後、知的なものを求めて集まってくる人々のハングリーさが印象的。

東大紛争では、法学部の通称最悪事態委員会に所属して、ほとんど東大解体につながるような過激な制度改革案を出そうとしていた。つまり全共闘等若者たちの問題意識をきちんと受け止めていたということだ。

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